電気機関車EF60(1) ~歴史的価値のあるEF60 雨の高崎線にて12系客車牽引~

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  • Опубликовано: 12 ноя 2020
  • 平成30年9月撮影。雨の高崎線を走行する19号機牽引の、12系客車3両の回送列車です。この12系客車は、前々日に山形から仙台までED75のPP運転で、「仙山線全線交流電化50周年号」として運転の団臨で使用されたものです。この日の朝、仙台をEF81の81号機牽引で出発、尾久よりこのEF60の19号機に交代し、高崎へ戻るシーンです。当日の夕刻は雨になり、そのためかこの場所ではたった3名の方が見送っただけでした。
    EF60形は、歴史は古く昭和35年から製造された電気機関車で、F型新性能直流電機のパイオニアであり、貨物用の基本番台(0番台)機と旅客用の500番台機が存在していました。また基本番台のうち14号機までは、先に登場したED60形などと同様の"クイル式"と呼ばれる駆動形式が採用されましたが、後に不具合が多発して15号機以降は"リンク式"に変更されています。なお、この特殊な駆動方式と不具合のために"EF60クイル"などと標記されたりまるで別形式のように扱われ、運用も区別されていたようですが、後に全機リンク式に改修されています。結局EF60形は結構な大所帯となり、基本番台は1~129号機、500番台は501~514号機が登場、合計143両に上りました。
    外観の方に目を移しますが、初期型は500番台を含めて前照灯が1灯式として登場、84号機以降および512号機以降はシールドビーム2灯式になりました。塗色は、基本番台機の登場時が旧型電機からの流れでぶどう色(茶色)、20系客車牽引を想定した500番台機は後年"標準色"となる青色とクリーム色の塗装ですが、特急色と呼ばれる塗り分けであり、前面は窓周りまでクリーム色で側面にはクリーム色の細い帯が入りました。ぶどう色で登場した機関車も昭和40年以降には塗り替えられ、青色とクリーム色となりましたが、特急色とは塗り分けが異なり、こちらが以降の直流電機の標準色となっています。ちなみに、後に登場したEF65形基本番台機は、形状はこの84号機以降とほぼ同様、塗色は初めから標準色の出で立ちになりました。
    EF60形は主に東海道・山陽筋での走行を想定しての設計でありましたが、後発のEF65・EF66形の進出や首都圏運用の旧型電機の置き換え目的などで昭和50年代には転属する場面が多くなり、更に昭和60年頃からは貨物列車の大削減などもあって大量の廃車が発生しました。また一部山陽本線の通称セノハチ越えの補機、EF61形200番台やEF67形基本番台に改造された機関車もありましたが、現在ではそれらは保留機であるEF67の1号機(種車は104号機)を除いて全て廃車されました。国鉄末期には高崎第二機関区に加え、こちらも旧型電機やED60形の置き換えでまとまった両数が転入した竜華機関区での活躍となりましたが、同区の運用もJR発足前のドタバタにより客車列車・貨物列車とも全廃という事態に…転属に際しては改造などを要したにも関わらず、本当に短期間で定期運用消滅、それどころか竜華区自体消滅しました。結局JRグループに継承したのはイベント向けとして、竜華区にいた503号機(JR西日本)と、この19号機(JR東日本)の2両のみですが、503号機はその後一度も自走することはなく後年廃車されました。
    一方昭和37年誕生の19号機はその後大活躍を果たすことになりますが、数奇な運命をたどります。昭和56年に高崎へ転属していましたが、和式客車「やすらぎ」専用機として何と昭和61年にクリーム色を基調とした塗色に変更されました。余談ですが、EF64の1001号機は和式客車「くつろぎ」色(ぶどう色塗装に白い帯に変更されましたが専用機ではないらしい)になってしまいますが、こちらはやっと最近JR発足30周年で原色に戻されました(!?)。1000番台機のトップナンバーだからみたいですが、しかし身代わりに1052号機が同様の塗色に変更され、現在に至ります。話を戻して更に19号機は、昭和63年には「アメリカントレイン」専用機としてまた塗色変更されます。「アメリカントレイン」は日米貿易摩擦下にアメリカの圧力に屈して(?)誕生した、展示用スペースに改造された50系客車からなる長大編成の列車であり、日本中を走行しましたが一部反対運動も繰り広げられたようです。そして平成元年には再び「やすらぎ」塗装に、特殊な使われ方で可哀そうでしたが(?)、ずっと後の平成19年になってやっと標準色に戻されました。近年では主に高崎周辺での回送列車や工臨などの運用が多い中、ときどき団臨を牽いたり、蒸機絡みの多客臨を中心に水上や横川、高崎線方面への活躍も見ることができ頼もしく思っていました。
    しかし、検査時に不具合で再入場したり、JR東日本が機関車を全廃する方向(蒸機を除く)という話など不安要素が拡まる中、令和元年7月1日、高崎を離れて秋田総合車両センターへ連れて行かれます。そして…到着した翌日の3日付けでついに廃車になってしまいました(令和2年11月現在、解体されずに留置されています)。登場時は大勢力だったEF60ですが、この日を以て全ての歴史は終了です。
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    「やすらぎ」専用機時代と「アメリカントレイン」時代の画像
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